右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

左足重心の意味

左股関節伸展重心は歩きの形
左股関節屈曲重心は右手の解放


左足の重心は歩きと手の使い方の両方で方向性が違います。息の出方はどちらも丹田です。そしてどちらも四角の形なのです。伸展していても四角の形なのです。


四角が先で丸が後
四角は呼気で丸は吸気
四角も丸も垂直の点を中心に回っています。
自らの点も主体を中心に回っています。


それで主体の方向が右なので右回りの動きが自然なのです。


呼気は吸気のため、吸気は呼気のため
カーリングでも確か重心は左ですね。
この時足は屈曲しています。この事は手の使い方の方法です。


カーリングはやったことはありませんが、右手は受け手四角の形をとり、右手を伸ばすときは〇つまり、吸気になっています。


カーリングの伸びる手は左足股関節屈曲呼気で右手の伸びる手を使いています。呼気の強さで距離を測っていると考えています。


自らの力の加減を右手そのもので行うことは不可能であると考えます。無意識の反射を利用しないとできないことだとおもいます。


真実はカーリングの選手に聞いてみる他方法はありませんが・・・
私ならそうします。自然な形が安定しているからです。


腰の時計回りは左重心が自然なのです。
足主体においても手主体においても左重心が腰を回すのです。


三焦経の始まりはヘソのしたの陰交穴ですがここから中脘、膻中を通り手に流れます。目じりの所で胆経絡に連結して脇部をとうり股関節、仙骨に流れ込み足の腓骨のラインに流れていきます。


この流れを追っていくと息の吐き方がよく理解できます。


2018/2/27       晴れ

動き考察

右重心吸気極致の中に呼気がある。右手左手の位置とベクトルがある。


腰の息と胸の息がある。腰の息は横隔膜。胸の息は肋間筋。この形は対極の関係の構造であり、呼気と吸気は相反する。


足の動き
寛骨と脛の動きは相関する。大腿部と足首の動きは相関する。
脇を締めると腿を締めるは足の使い方と手の使い方に関係する。どちらも丸から四角形が吐くことになる。足の吐く動きに連動するのが大腰筋である。


今日深く感じた事です。


2018/2/27      外出前に

死人が生き返る

聖書には右手という言葉も何度か出て来ます。


あなたの愛する人々が助け出されるように右の御手でお救いください。 それを我らへの答えとしてください。(詩編 60:7)


右手という言葉が聖書には多く、左手は殆どでてきません。
治療に携わっているせいか右手に心がとまります。
一般的にも右手は授け手、左は受け手といいます。
彌勒様の像も右手で人を救う形です。


とても信じられないような話があります。
旧約聖書の中に死人を生き返らせた話があります。
エリアという預言者が死んだ子供をよみがえらせるのです。

聖書に「そして三度その子供の上に身を伸ばし・・・」とかいてあります。
随分前にそこの箇所を呼んだのですが「身を伸ばし」とはどんなことをしたのかと考えたことを思い出します。それだけでは分からない・・・もっと詳しく書いてあればいいのに・・・と



治療ということを考えていると、信じられないような奇跡です。


治療に携わっていると色々な話を聞きます。
あるとき、魂には重さがあり、生きている人が死ぬと何グラムか軽くなると聞いたことがあります。たしか40グラムとか21グラムとかいってたと思うんですが・・・


看護婦さんの体験では「移動式の寝台を押しているとき患者が亡くなった時、軽くなるんです」というのです。
これは、直接、看護婦さんから聞きました。


武道でも重心の関係で重く感じたり、軽く感じたりしますが、物理的に魂の重さを測定した人は川田薫先生だそうです。


物質で構成されている体は心の作用で動いているので、心の中にも物質的な要素があるのだと感じます。また体にも心的な要素があるのだとおもいます。それで、共に共通する部分があり作用しあえるので心が主体となり、対象となる体を動かしているのではないでしょうか。


生命エネルギー


世の中には色々な治療があります。お祈りもその一つ、気功もその一つ、目に見えない様々な治療があります。


手技においても、いろんな考え方があり組み立てられているのだと思います。


痛みについての考え方で治療の考え方は違ってくるとおもいます。
股関節の痛みの原因は息でいえば吸って足を挙げたから
五十肩の痛みの原因も息でいえば吸って手を挙げたから
膝関節の痛みの原因も息でいえば吸ってお腹を固めたから
動きから見てみると
五十肩は腰が回らないことが原因
股関節は胸が回らないことが原因
膝関節は腹部の緊張感があることが原因
原因を探していくと様々な角度から考察できます。


もっと根本的に痛みとは何か?‥‥以下参考に


痛みとは何でしょうか。私たちのすべての器官において、バランスを取る、ある一面が破壊されたとき、それを早く更正しなければ、宇宙が「お前は現在、共存原則の基準において不合格者だ」と言いながら追い出すのです。その追い出す力のゆえに痛みを感じるというのです。
それでは、悲しみはなぜ起きるのでしょうか。同じです。「私」自身が平和な境地で体と心が一つになり、環境と一つになって、宇宙のより大きな世界に前進していくのに和合する場に立てば、そこで宇宙が保護してくれるのです。宇宙の全体世界において互いが連結され、共存できる連対的作用圏を形成していれば、互が相応する立場で保護してくれるのですが、そこに相反するときは、必ず宇宙力が追い出すのです。これが悲しみに連結されるのです。R・M



宇宙には、相対理念を備えない存在は、存続することができません。相対理念を備えた人は保護します。必ず保護してくれるのです。ですから、男性を女性が永遠の愛を中心として一つになって生きようとするときは、全宇宙が保護するのです。前後、左右からこれを審判する者はいません。体に授け受けする道があるのですが、病気になるのは、その一つが詰まっているのです。塞がっていれば、宇宙の不合格者です。
 相対理想を備えてこそ保護するのですが、そのようにできなければ、不合格となったその割合に応じて一気に追いやるのです。激しく追いやる作用が痛みとして現われます。押せば痛むでしょう。病気のゆえに痛むのではありません。宇宙力のゆえに痛むのです。「お前が授受作用できず、主体と対象の和合関係を構築しないからだ。お前の体がこの詰まったものを取り除いて和合させなければ、宇宙の廃棄物処理場に入るのだ」と警告するのです。宇宙は和合するものを保護するようになっているのです。R・M


調和・和合ができていないとき保護作用として痛みを感じるのだと思います。痛みは悪いものではなくて知らせてくれているのです。


体は違和感として随分前から信号を送っているのだとおもいます。
筋肉での信号でいえば
くすぐったい・・・コリ・・・痛み・・・痺れ・・・マヒ
と進行していきます。


痛みをどう考えるかで大きく治療の方向性が違ってくるとおもいます。


痛みがある方は、痛みにこの痛みはどこから来たのか?訪ねてみてください。
頑張って仕事をしたから
食べ過ぎたから
怒ったから
もっと深く深慮してみると意外な答えが出て来るのかもしれません。


受ける治療と自らの治療においてどちらが本質かと考えると自己治療がより本質ではないかと考えています。ですから運動治療もその一つです。


運動に於いて主体を中心として設計されているのであれば、その主体、(宗教的に言えば神様、哲学的に言えば第一原因 東洋哲学つまり易学的に言えば太極・無極となりますが、)との正しい関係性と法則をもって主体を中心に回っていかなければならないのです。


腰が時計回りと反時計回りにおいてルールがあります。
手の使い方と足の使い方においてルールがあります。
全部のルールは分かりませんが、間違った動きは気持ち悪く、痛みがでます。コリがでます。
良い動きは体が喜ぶのです。誰でも探していけると思います。


人類の歴史の中で死人を蘇らさた最初の出来事ではないかとおもいます。
    


旧約聖書 列王記上
7:17これらの事の後、その家の主婦であるこの女の男の子が病気になった。その病気はたいそう重く、息が絶えたので、 17:18彼女はエリヤに言った、「神の人よ、あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」。 17:19エリヤは彼女に言った、「子をわたしによこしなさい」。そして彼女のふところから子供を取り、自分のいる屋上のへやへかかえて上り、自分の寝台に寝かせ、 17:20主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。 17:21そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。 17:22主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。 17:23エリヤはその子供を取って屋上のへやから家の中につれて降り、その母にわたして言った、「ごらんなさい。あなたの子は生きかえりました」。 17:24女はエリヤに言った、「今わたしはあなたが神の人であることと、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」。



2018/2/27        晴れ

出力よりも入力が大きい人間の構造 その2

力を出す。・・エネルギーの投入・・・呼気・・その後吸気


ここで呼気の筋肉よりも吸気の筋肉が多いのです。それで、力を出した以上の力が吸気の時に現れるのです。


例えば椅子から立ち上がる時、一瞬息を吐きます。その後の反射で足が伸びますが、この時は吸気です。楽に上がるのです。
吐いて足を伸ばすより吸って足が伸びる方が楽なのです。


歩きのコツはここにあると感じます。吸気の為の筋肉が多いことは出力よりも入力が多いという事です。


反射で体を動かすことがとても楽で理にかなっている。
体を使うコツはこの反射です。


吸気の時に顔は右に向きます。それで、右向きにして息をすってみると気持ちがいいのです。左向きでは吐くが楽なのです。


首を時計回りが顔は左向きで、首が反時計回りが顔は右向きになります。ややこしくなりますが、細かくなるとそうなのです。細かくスパイラルしているのでそうなります。


歩くとき常に顔は正面を向くようになるのですが、その構造を分解すると息により向く方向が違っているのです。


ややこしいですね。


時計回りで吐きやすく、反時計回りで吸いやすい。
吸えない人は頑張り屋さんです。主体の方向で息を吸ってください。神様からくる無限のエネルギーを感じられるかもしれません。感じられなくても体が軽くなってきます。


エネルギーの投入をすればするほど主体からエネルギーが入ってくるのです。それは投入した以上のエネルギーなのです。


吸気はどんな意味があるのか?
主体からエネルギーをいただくという意味があり、出したエネルギー以上のエネルギーを頂くのです。


そんな風に考えればエネルギーを投入しても無駄なことはないと感じるのです。


力を出す方向は対象です。自分ではありません。対象に吐くことは為に生きるという意味であり、その目的、方向は私達の主体が願われる目的・方向でなけらばならないと感じます。


そして、吐いてから吸うが法則です。
それで、吸えるのです。


2018/2/26       晴れ

出力よりも入力が大きい人間の構造 その1