右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

オリンピックは昔は右回りで走っていたのか。

人間の人体構造を研究すると左右非対称である時日をしることになります。その中の一つに心臓があります。動物の心臓は50度前に傾いています。犬などがそうです。ところが人間は50度の傾きのまま90度右回旋をおこしています。何故、このような構造になったのでしょうか。


動物の犬などは縦波でうごきます。ヘビは横波でうごきます。人の動きの特徴は回転です。その回転する動きにおいて人が左回旋を強く行った時に心臓の左側(左心室)には陰圧がかかりキレーションがおこります。高い山に登った時に100度以下で沸騰することと同じです。それで短距離選手は度々事故がおきます。


昔のオリンピックは右回りで走っていたそうです。右回りだとキレーションが起こりにくいのですが、何故今左回旋としたのでしょうか。これが物理的な説明による心臓の傾きなのですが、内的にはどういう意味が隠されているのかなと色々と考えてしまします。


右に50度傾いているのは主体の位置の右に思いを寄せていることであり。90度の右回旋は神様から送られてくるエネルギーを90度の角度で受け止める動きを表していることが考察できます。


よく丹田といいますが、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。と書かれています。また、土のチリで人を形どり命の息を吹き込まれたと書かれています。


この息を90度の角度にて受け止める心の姿が心臓の姿となって実体化してみせているのだと感じています。心の延長線上にカラダがありカラダの延長線上に他者との関係があります。腹から生ける水のように湧き上がる左回旋のエネルギーを右回旋いてこころが受け止める時、私のカラダの延長線上にある被造世界との同化が始まります。


へその呼吸を研究してみて感じた世界です。


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何故、心臓は傾いているのか?

左右非対称の中にあり、心臓も他の動物と大きく設計図が違います。動物は前に傾いているだけなのですが、人はそれが90度右回旋をしている。何故でしょうか。


何故、90度なのだろうか。


心臓は50度右に傾いている。それは主体に思いを寄せているという意味であり、90度右回旋をしている。それは90度で私の心は命の息を受けますという意味である。それで体は命の息に対して90度にて息を受け止める動きになります。そして体の延長線上に全ての関係性があり一つになる道が開かれます。


心臓は心の臓であり、私のこころの実態化したものです。こころが何処にありますかと質問するとき胸に手を当てるのではないでしょうか。


頭に手を当てる人はいるでしょうか。お腹に手を当てる人はいるでしょうか。

一番知っりくるのが胸です。


カラダの動きは被造世界の象徴であり、心の延長線上でもあるために命の息と同化するためには心の90度の角度が必要なります。そのように心臓の傾きと捻転を理解するとそれは素敵なことです。

腸間膜の引き攣れ

腸間膜の緊張

お腹の状態を調べてみると各症状の根源になっているのではないかと感じることが多いのです。お腹の深部に筋の引き攣れを感じます。こんなところに筋があるのか?


お腹の回りの腹筋ではありません。もっと奥に大きな筋があります。鉛筆大で緊張しています。昔はこのような状態を仙癪と呼んでいます。現代風にいうと腸間膜と腸間膜根の過緊張からくる状態のようです。


腸そのものが自由に動くことができません。よく、ストレスの方の頭蓋骨を触るとガチガチの硬さと緊張感を感じますが、このような時は腸も同じようにガチガチの硬さと緊張感が共にあります。タイプによりストレスがお腹に現れる方がいます。


このような状態のとき小腸の乳糜管が停滞して諸病の原因となるのです。臍下一寸五分を丹田ともいいますが、原気の海、気海とも呼ばれています。


心臓と小腸腑は裏表の関係ですが、ともに血脈を主管しています。腸の長さは5~7メートルぐらいで面積はテニスコートぐらいといいますから、ココの引き攣れは身体に大きな影響を与えます。腸間膜根は横膈膜とも密接な連動をもって動くことから、息が吸えない状態をつくりあげます。もう一度、へそ呼吸を通して腸にエネルギーを入れる必要があります。


西野流呼吸法にオープン・クローズの法則というものあります。そのまま、引用させて頂きます。オープンとは、身体を開くということ。このとき息を吐いていることが大切である。息を深く柔らかく吐きながらオープンすると、身体はリラックスして限りなく宇宙に向かって開放されていく。自己の身体と宇宙とが一体となって境界が取り払われ、このうえなく自由に、すがすがしい気分になってくるのである。


クローズとは、身体を閉じるということ。息は細く長く吸っている。このとき、エネルギーが身体に蓄えられる。息を吸うことで、宇宙エネルギーが身体に自然に取り入れられていくのである。クローズのときは自己というものの手ごたえをしっかりと実感することができる。…このように書かれています。私なりの表現ですと、吸気とは神様の呼気を追い求める姿であるので神様との関係性となります。

その神様の呼気と同化してこの天宙との関係性を探しもとめていくことが私の呼気となります。入力と出力です。


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神様の呼気を受け止める。それが止息です。

この実体世界に生をうけた人の最初の動きは止息です。


それで止息の練習から始めるのが理にかなっていると考えています。


止息の目的とは

・愛のために生きるぞと決意することです。目的は胸中の中心である心情世界

神様の呼気と心を結ぶフレームを造ること。


フレームとは左後面膈と右前面膈の引き合う動きである。

引き合ってこころの右回旋 仙骨の左回旋 腸と生殖器の左回旋がおこる。


この息のエネルギーは愛を求めて他者との関係を求める。


・それは決意すること。


目的は目線に通じるのでどこに意識をもったらいいのか。



神様が愛の理想世界をつくろうと決された動機はどこにあるのでしょうか。


お一人の神様が愛という相対的な概念を持たれたとき、愛する存在が全くない。

愛の光を放っても、どこにも反射するものがない。暗闇の世界


何も無い。絶対的な孤独の中で愛の実態世界の構想を練られたのでしょうか。

どこで決意されたのでしょうか。決意されたとき目線はどこにあったのでしょうか。


人にあったのでしょうか。人の何にあったのでしょうか。



相反するベクトルが同一の個体の中で作用しています。これ角運動量保存ですが、

この作用し生まれるエネルギーは360度から放出されます。


それで初めの動きは遠心性となり、他社との関係性を持ていていきます。

そして一つになるために求心性の動きに変化していくのです。


カラダを観察すると遠心性の動きから求心性の動きに変化していると感じましたが

地球も4メートル 伸びと収縮を繰り返していると聞いたことがあります。


地球も呼吸している。


今はとてもいい季節です。美しい被造世界に感謝します。

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聖霊と息

強く生きよ。


正しく生きよ。


わたしのように息よ。


わたしのように生きよ。


息には思いが込められている。


神様との息の交流


止息にて息を受け止め、


呼気にて関係を求める。


神様の呼気は胸中で私の呼気となり吸気となり循環する。


一つの息になりました。

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