右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

何を基礎として考えているのか?心情整体

心情整体とは
 私たちの父である神様の心情を相続したいという思いから心情整体と名づけました。利他主義の先にある他我主義(他人と私は一つ)を実践していきたいという思いから名づけたのです。


 万物の霊長としてまた、神様の息子、娘として創造された人類は聖書の創世記にあるように堕落してエデンの園から追放されてしまいました。神様の心情と遠いところにおり、神様と通じ合わないようになってしまいました。


 これは人間の体を動かすことに於いて何を意味するのでしょうか。人間は心と体の二重構造になっています。心が主体で体が対象の関係です。心の中心に神様がおられますが、神様と通じ合わない心から誘発される行動=動作は本来の動かし方とは大きくかけ離れたものとなっていると思われます。
 

 自分を中心としての動作と神様を中心としての動作は大きく違うはずです。この動作の違いはどこにあるのでしょうか。
 

 本然の体の動かし方はどうなのでしょうか。
 理想的な歩き方があるのでしょうか。
 理想的な手の使い方はあるのでしょうか。
 力の伝え方はどのような構造になっているのでしょうか。
 力の発生する中心はどこにあるのでしょうか。
 息の仕方と動作とはどんな関係なのでしょうか。
 病気の人・痛みのある人の動作と息の仕方はどこがおかしい のでしょうか。
 痛みとは何なのでしょうか。
 どこがおかしくて体が歪んでいるのでしょうか。
 どうやって異常を探して行けばよく、どのようにすれば改善するのでしょうか。
 根底に流れる原理・法則があるのでしょうか?


 あるときから、自分の体を通して自分の体を動かしてみてどのようになっているのか、とにもかくにも運動してみようとおもいました。
 自分の歪みがどこから来ており、どういう動かし方をすればどこが改善するのかと自分と対話しながら試行錯誤しておりますとふと与えられる時があります。
 点と点がつながり少しずつ体の本来の動かし方がわかってきました。神様から与えられたのではと思うのです。
 
 やはり、法則があるのです。レオナルド・ダビンチの有名な絵があります。人体図の絵です。その絵の説明を受けたとき、体の中心が生殖器であることがわかり、またヘソと生殖器は連結していることに物凄く感動しました。
 
 ダビンチも根底に流れる不変の法則を探していんだ…
 
 体の中心が生殖器
 体、愛を実感するところ。
 有形実体世界で生きる体。
 心の乗り物 体。
 物理的な法則の中で生きている身体。



 法則の一端が解明できるとそれは嬉しいのです。間違いなく中心を回っているのです。
 体の中心は心
 心の中心は・・・


力は作用するところから生まれます。作用は、主体と対象の関係から始まります。引き合う力、心情から作用が始まるのです。
主体の周りを対象が回るのが原則です。


 良心作用、悪いことをすると良心の呵責をうけます。この良心の力はどこからくるのでしょうか?力が発生して心に作用するのですから、ここに於いても主体と対象の関係からこの力は発生します。
 
 心の善なる部分と神様との主体、対象の関係から良心作用の力がうまれます。


 中心を回っている事がわかるとそれを探っていけば少しづつ法則を垣間見ることができます。


 今まで作成した資料を昨日、整理していました。こんなことを考えてきたのかと‥‥同じことを書いている箇所がおおいのです。間違って考えていたことも多いのです。


 試行錯誤の中ですが、神様を中心とした動作を基礎において動きの研究をしていきたいと思います。そしてその動作を再現させる運動をとうして自己治療・操法を開拓していきたいとおもっています。


 運動の法則を通して見えざる神様の存在を多くの方が実感されるようになれば人生が大きく変わっていくのではないかと思っています。



目指す目標は
心情整体とは神様を中心とした動作を基礎としたものであります。従って正しい動作をすれば自分で痛みがとれ歪がとれます。正しい運動を補助してあげれば治療になります。正しい動作を術者が相手に再現させればソレが操作法となり治療になります。


2018/3/15       朝

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