右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

今の世界に正義を見いだせないのか。

何が善で何が悪なのか。
様々な情報を得ようと努力しているのは私一人ではなく
多くの方がそうされていると思います。
複数の意見がぶつかりあいます。
今の政治 経済の在り方に善なるものを見出すのは難しい
たとえ、それがよく見えても難しい
現実の生活と直結する政治においても
善なる行いをみることが難しい
自由と責任ある社会の在り方を多くの方が望んでいる。
その義の国をどこに見出したらいいのでしょうか。
その義の出発が神様の心から始まるので
そこまで、訪ね求めていかなければ出会うことができません。
人類の不義ゆえにこの世界になりました。
私の不義ゆえにこの世界になりました。
まず、私達は神様に帰らなければなりません。
神様の心を訪ねていかなければなりません。
本当に悔い改めていかなければなりません。
神の国の到来を待ちのぞみます。
批判する心からは対立しかうまれません。
どこから、善をみいだすのか。
どこの意見が正しいのか。
悩んで神様に訪ねてみたらエズラ記が与えられました。
私達は奴隷になっています。
不義故に奴隷になっています。
答えはここにありました。
神様の声を感じてください。


エズラ記9章
「わが神よ、わたしはあなたにむかって顔を上げるのを恥じて、赤面します。われわれの不義は積って頭よりも高くなり、われわれのとがは重なって天に達したからです。 9:7われわれの先祖の日から今日まで、われわれは大いなるとがを負い、われわれの不義によって、われわれとわれわれの王たち、および祭司たちは国々の王たちの手にわたされ、つるぎにかけられ、捕え行かれ、かすめられ、恥をこうむりました。今日のとおりです。 9:8ところがいま、われわれの神、主は、しばし恵みを施して、のがれ残るべき者をわれわれのうちにおき、その聖所のうちに確かなよりどころを与え、こうしてわれわれの神はわれわれの目を明らかにし、われわれをその奴隷のうちにあって、少しく生き返らせられました。 9:9われわれは奴隷の身でありますが、その奴隷たる時にも神はわれわれを見捨てられず、かえってペルシャ王たちの目の前でいつくしみを施して、われわれを生き返らせ、われわれの神の宮を建てさせ、その破壊をつくろわせ、ユダとエルサレムでわれわれに保護を与えられました。
9:10われわれの神よ、この後、何を言うことができましょう。われわれは、あなたの戒めを捨てたからです。 9:11あなたはかつて、あなたのしもべである預言者たちによって命じて仰せられました、『おまえたちが行って獲ようとする地は、各地の民の汚れにより、その憎むべきわざによって汚れた地で、この果から、かの果まで、その汚れに満ちている。 9:12それでおまえたちの娘を、彼らのむすこに与えてはならない。彼らの娘を、おまえたちのむすこにめとってはならない。また永久に彼らの平安をも福祉をも求めてはならない。そうすればおまえたちは強くなり、その地の良き物を食べ、これを永久におまえたちの子孫に伝えて嗣業とさせることができる』と。 9:13われわれの悪い行いにより、大いなるとがによって、これらすべてのことが、すでにわれわれに臨みましたが、われわれの神なるあなたは、われわれの不義よりも軽い罰をくだして、このように残りの者を与えてくださったのを見ながら、 9:14われわれは再びあなたの命令を破って、これらの憎むべきわざを行う民と縁を結んでよいでしょうか。あなたはわれわれを怒って、ついに滅ぼし尽し、残る者も、のがれる者もないようにされるのではないでしょうか。 9:15ああ、イスラエルの神、主よ、あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれは、とがをもってあなたの前にあります。それゆえだれもあなたの前に立つことはできません」。

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