右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

人の手

人の手は、命の息と連動・同調した動きを成している。それは、命の息と連動される道なのでしょうか。


そうです。そう感じます。


手が命の息と回旋の方向が同じになるとき、右手左手から吸気が入ります。


足は吸気を受ける形をとります。


拇指球 肺経絡 陽池 エネルギーを生み出す三焦ライン
脱力した手の回旋 中心の動き 反時計回りのエネルギー
時計回りの土台 受ける形


細やかな手の動きと連動される体幹の動き



ルカの福音書6章6節~10節
また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。 律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。 イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は身を起こして立った。 そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」 そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。


病気で弱っている者をかかえた人たちがイエスのもとに連れて来る。イエスが、病人に手を置くと癒された。(ルカによる福音書4:40)

私たちの能力はキリストです

《私たちの能力はキリストです》


何と深い言葉でしょうか?




聖書では偶像を拝むなと戒めの言葉があります。


人より優れた能力


これを誇ることも偶像崇拝なのです。
自己崇拝


聖書の黙示録の一章四節に「・・・やがてきたるべきかたから、・・・」と七つの教会へ 勧告の言葉があります。


再臨されるキリストから送られたものです。時空を超越した書であることを感じます。


七つの教会に宛てた手紙みのあとに礼拝の様子がかかれています。


この、手紙を通して心を正して朗読 聞かなければ、主の来臨の時に眠った人になるから、勧告の手紙が黙示録の始めにあるのではと感じております。


そして礼拝とつづきます。


新約聖書の最後の章であるヨハネの黙示録


再臨主を迎えようとする深い熱望がある人達に最も朗読そして聞くひとにさいわいがある書


再臨のキリストに出会うさいわいほど素晴らしいことはないではないでしょうか。

重力下における形

重力を受けた状態に置ける形


座位であろうと立位であろうと背骨が立った状態に置いての形はとても意味があります。


その姿勢を維持するときは其れに関連した全ての筋肉が動員させれて動きているためです。


現代社会は競争社会であります。それは、とても生きずらい社会です。活動することはエネルギーの投入だからです。


エネルギーの本体はどこにあるのでしょうか?
それは、対象である人間の主体の位置は右なのです。


それで、顔を右にむけていると自然と吸気が大きくなってきます。


吸気はエネルギーの補給です。


主 私たちの主体からくるエネルギーは反時計回りに来るのでしょうか?


右に意識を向けるだけで吸う息は力強くなります。


疲れた時、主体の位置に思いを向けてください。

内臓機能不具合を解決する

膝が痛む方は脾臓の不具合
股関節が痛む方はリンパの流れが著しく低下している時
足首が痛む時は腎臓の不具合


リンパの流れは脾臓経絡と胆嚢経絡の改善が必要です。
そして脇には胆経と脾臓経絡が流れています。


とくに大包 渕腋 など脇部には両経絡が走っています。


内臓の不具合からくる膝痛 股関節痛 踵の痛みなどはみな、この脇部の操作を通して改善できます。


特に左が重要です。



この操作をとうして腹部の硬結 が解けて柔らかく弾力が増すほどに上記の痛みは無くなります。


膝痛 股関節痛のとき脇に痛みがないか確かめてください。それは内臓の不具合が根底にあります。

難しい運動療法

運動療法において難しい点は


第一に本然の動きと異なる動きが習慣化していること


本然の動きは無意識下の神経の支配を受けるていること


この二つが関わっているために難しいのだと感じています。


そこで、最近考えている事は、その無意識下の動きが本然の軌道で動くように施術者が導いてその動きを誘発させる運動です。


ですから、施術者と相手と二人で行うのです。


パーキンソン病の方の動きの改善にはこの方法を使っています。つまり錐体外路系をつかった動きの誘発となります。


そしてその軌道を再現させるのです。