私たち人類の共通の敵は、貧困と無知と疾病と罪悪です。
私達人類は、長い歴史の期間を通して無知から知への開拓の道を歩んできました。
人間は心と体との二重構造になっているためにそれぞれの分野において無知を克服してきたのです。
心の霊的無知を担当してきたのが宗教・哲学であり、体の物質世界を担当してきたのが科学です。
幸福を誰しも追求して生活していますが、心から幸せを感じる時とはどのような時なのでしょうか?
願いがかなったときです。
それは欲望が満たされた時です。
欲が深く。欲が多いほどその欲望が満たされた時において、深いほどより幸福を深く感じ、多いほど幸福は多いということになります。
欲望が満たされる。しかし悪い言葉に聞こえます。
何故でしょうか?
人間の個体の中に相反する二つの欲望があります。これを本心とか邪心とかいっています。目的が反する二つの心があるのです。
これをキリスト教では堕落したといいます。仏教においても業がある。業が深いといいます。
堕落したという内容は本然の状態から堕ちたということです。
この邪心がどこから来たのか?不幸に陥れるこの邪心を私たちは取り除かないかぎり絶えず心の中で戦争状態に置かれています。
この問題を扱ってきたのが宗教なのですが、この問題に対する明確な答えがなければ、病気における病気の原因を知ることができない状況と同じです。
それはその病を治せないということと同じ事です。
反復しますが、相反する指向性をもった本心と邪心の問題は原罪の問題です。
原罪の問題を解決するためにキリスト教では再臨主が来ると言い。儒教では真人がくるといい。仏教では彌勒が来るといいます。
堕落の問題を明確に科学的に論理的に教え、どのように解決していけばいいのか提示してくれる人がおられればその方はキリスト教でいう再臨主であります。
キリストは100%人間で100%神であると定義されています。
ヨハネの黙示録3章では新しい名前で来ると書かれています。
ヨハネはイエス様の弟子です。そのヨハネが神格に戻られたイエス様から伝えられた内容がヨハネの黙示録です。
一度、その個所を読んでみてください。