右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

神様の右手

ヨハネ7:38
38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」


わたしの魂はあなたに付き従いあなたは右の御手でわたしを支えてくださいます。(詩編 63:9)


主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きたものとなった。(創世記)



生きたものとなった命の息  神様の呼気 心情の奥から吐かれた息なのでしょうか?
              どんな思いで吐かれたのでしょうか?
              言葉とはならない呼気
              私はこの息により生きたものとなりました。
              感謝いたします。  


魂を支えられる右の御手


腹から生ける水が川となって流れる


全ては神様の心情のほとばしりによる細やかな愛情を表現した内容であると感じます。
腹の中に重心があり、ここの動きに全ての動きを合わせることが動きの本質であることを運動を通して実感しています。


神様の似姿に創造された私たちの右手を観察すると、右手のみ筋膜の流れから独立しており、繊細な動きができます。そして息 左手 を土台としてのみ正しい軌道において動けることが観察できます。それは神様も法則にそって救いの右手があるということなのでしょうか?


この右手は独立している理由を考えるときに、より繊細な動きができます。隅々まで手が届きます。それは男性に持っている力というより、女性的な作用であると感じるのです。


父の持っている右手をそのように理解しています。


呼吸は酸素を補給しますが、


腹の中を中心とする息はそれだけではないと吸気の運動を練習するときに感じるときがあり、またそうなのだと思っています。


生命力


前立腺の痛みに3年間悩まされている方が一か月足らずの息の治療において解放され、この方は精神疾患のため一日24錠薬を飲まれていましたがもう必要ないようです。


孫と自転車に乗って遊ぶことができたといわれます。


呼気から吸気の治療に移行したときに大きく変化したのではと感じています。


組み込まれている息と動きの構造


神様の呼気 人の吸気 こそ生命力の根源であることを感じまたそのような、私達を導かれる右の御手が医療の医学の施術の中心位置に来なければならないと思っています。

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