右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

手技考察 再考その3

歩きを科学する
普通の歩きとナンバ歩きの構造はどちらも芯つまり中心の動きは変わりません。ナンバと普通の歩きは何が違うのかよく考えてきました。


普通の歩きは手は解放されています。ナンバ歩きは手をつかいます。これが違いです。肋間筋の動きは全く同じです。胸の回転の方向が全く同じ、腰の周りも全く同じ、ただ違うのは肋間筋に乗っかっている部分だけです。簡単に言えば肩甲骨に群がる筋肉です


胸の回転方向と肩甲骨を土台とした腕の動きの方向が同じで同調しているのがナンバであります。




ナンバの時に押す手は本然の動きで正であり、引く手は二次的な力の出し方であります。
押す手は反対側の足に重心がきます。引く手は同側の足に重心がきます。これがこの法則を間違えると息と呼吸があいません。胸の回転と腕の回転の方向が同じにならなければなりません。


ナンバの中でも手主体と足主体があります。細かく分類するとやはり法則があります。もっと深く体を観察していくと面白いと思いますし、その動きは多様性をもってくるのだと今は感じています。



腕の押す手と引く手で腰の回転、胸の回転がそれぞれ違います。そしてナンバは第八椎下でねじれます。ここから上肢と下肢がねじれます。


施術だけでは体は改善しません。本質は息と体の使い方です。
何故かと言いますと間違った体の使い方を一回しただけで体は歪んでしまうのです。正しい動きを一回しますとその分体は歪みが改善します。
ですから、日常生活の台所、掃除、椅子から立つなど動きの法則があります。
試しに実験してください。9割以上の方は体の変化を感じるとおもいます。


椅子から立ち上がる時右足に重心をもっていきます。そのとき右手を外まわしに回しながら立ち上がってください。
次に左足に重心を乗っけながら右手を前に押してください。これを繰り返すと体が整ってきます。
10回ぐらいやってみてください。腰の具合、手の上がり、みな改善しています。これが体の法則です。


この表現は分かりずらい内容です。細かく分解して説明が必要となります。立ちあがる動きの中での順番がありので細かい動きがあります。ただ、リラックスして行えば上記の内容でいいと思います。



右手を前に押すのではなく受け手と表現したほうが正しいです。押すのですが押すの意味が一般の押すと異なります。うけるのです。





股関節が悪い人ほど股関節の痛み辛さがわかります。当たり前のことです。そしてこの痛みからどうしたら解放できるのか探しておられることと思います。

もし自分が治ったらこの辛い病気で悩んでいる人に解決の方法をお伝えしたいと思われるでしょう。
また悩んでいる人が、自分の症状よりもヒドイ状態の方から、「私も以前そうでした。でも今はこうなりました」「あなたも大丈夫ですよ」という声を聞いたらどれ程、希望を感じることでしょうか。


病人の心の表したコトバを見つけました。以下


病人は、悪い心を抱くことはできません。病気を患っている人は、悪い心を抱くことができないのです。病人は、自然に対しても、同情されたいと思い、天地を見ても、同情されたいと思うのです。
 そして、「同情できる人になってみたい」と期待します。「自分は健康になって、同情できる人にならなければならないのに」と思うのです。
 健康な人を見ても、同情されたいと思い、「私も、あのような人になって同情してあげることができれば」と思うのです。
 ですから、病人は、悪い心をもつことができません。それは修養です。そうかそうでないか、一度、患ってみてください。
                        R・M






心情整体が目指すこと
私は、息と体の使い方が病気の原因と思い研究してきました。そして運動の法則が少しずつですが分かるようになってきました。正しく歩くことは何であるのか・・・いろいろと考えてきました。



答えは本の中にはありません。私の研究は体との対話でした。その中でハッキリと見えてきたことがあります。横隔膜と大腰筋との関係、歪みは息と力の法則から来ること・・・・。
股関節の悪い方に動きの法則道理に手技にてその運動を再現させますとあっという間にその症状は改善します。



また、運動の法則どうりに運動してみてもそのようになるのです。それで股関節の悪い方が股関節の悪い方を手技にて治療をすれば、2人とも回復するのです。



手技にて治療する方が本質的に根本から治ります。完全に完治すると考えています。なぜか、まず、運動の法則を勉強しない限りその動きができないからです。そしてその手技の本質は動きの法則から出て来る力だからです。その本然の動きに沿った動きを通してでる力が体に伝わり病人は本然の体の状態に戻るのです。



つまり施術者はその動きを自身の体で再現できなければ自身の体も壊し、相手の体も壊すのです。しかしその動きができればそれはそのまま自身の治療にもなるのです。そして施術をとうして病気の方が変化することを術者自身が確認できます。



運動の法則は難しくありません。今日はそんな体操を案考しまた。それは立ったままで腕を動かす体操です。運動の法則道理に腕を動かすのです。腕の動きと共に腰が回り、足が動きます。簡単な運動です。この体操で腕の使い方が分かります。これからはこの体操が運動の法則の理解につながるものとおもっています。



私は動きの法則が根本的な病気の原因の一つだと確信しております。
股関節の悪い方が股関節治療をマスターされ、多くの股関節で悩む人に希望と治癒をもたらしたらどんなに素晴らしいでしょうか。



心情とは、
心情は喜びを得ようとする情的な衝動力であるが、真の喜びは愛することによって得られる。ゆえに喜ぼうとする情的な衝動は、愛そうとする衝動と一体となっている。したがって心情とは「愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動」である。


心情とは深い意味があったのですね。このような気持ちで施術できたらどんなに素晴らしいでしょうか。


心情と愛
心情と愛はいかなる関係にあるのだろうか。どちらも知、情、意の根底にあるが、心情が喜びを得ようとする情的な衝動力であるのに対して、愛は主体と対象を結ぶ情的な力である。心情の衝動を動機として情的な力が、主体から対象に向かって(あるいは対象から主体に向かって)流れてゆく。そのときの情的な力がすなわち愛である。したがって心情は愛の源泉であり、愛の出発点である。


人間をどう理解するか(人間の解明は病気の解明)・・・心情的存在である


このことを理解できる事柄が先日ありました。86才になられる方は朝デイサービスに行き血圧を測ると毎回上が200近くあり、お風呂はこのままでは入れませんといわれ、その後しばらくしてから測ると130ぐらいになるそうです。
その方から朝電話があり、昨日はデイサービスの日で血圧を測ったが正常でした。嬉しくて電話しましたと言われました。
何があったのでしょうか。


それは、その方の健康相談の依頼をうけ、私なりの検査をして色々と話すうちに家族に対するストレスから来ている事を確認することができました。そして解決の方法を提案しただけなのです。お互いに涙を流して話したことを覚えています。
今までの高血圧はここから来ていたのです。心情的存在なるほど・・



動きの法則
時計回りの仙骨の動きの中に右手の押す手、引く手がある。
その時の重心の移動は左右となる。
胸部中心は半時計回りとなる。
これが動きの法則である。


時計回りの仙骨の動き改め腰回りがよい。腰の動きも仙骨と腰椎部においての動きの違いがあるためです。
大きな流れの中に隠された動きがあります。

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