自由社会について考察
悪は何処から侵入するのか。自由と責任 そして選択の自由を
奪うものは何であるのか。国際人権規約における人権制約の考え方を知ることは自由社会のありかたを考えるにあたり一つの判断材料になると思う。
国際人権規約は国連つまり戦勝国が作った人権の規約である。世界人権宣言の理念を実現化するため1966年、国連で採択された人権に関する規約なのだ。
それでは世界人権宣言において人権制約が記載されている箇所はどこなのだろうか。
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29条の3
これらの権利及び自由は、いなかる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行動してはならない。
(国連から与えられる権利 自由と書いてある。腐った規約である。)
とある。さて今の国連の目的は何処にあるのか。
国連の目的はトランスフォーム手段がSDGs
国連193ヶ国が全会一致で採択した文書Transforming Our Word(我々の世界を変革する)その中にSDGsが記載され17の目標と169のターゲットで構成されている。
トランスフォーム(Transform)とは「原型をとどめないレベルでの変容」を表します。
SDGsの本質は世界の在りようそのものを根本的に変革するということです。その手段としてSDGsがあります。
ユダヤの金持ち主導のSDGsその中心人物のビル・ゲイツが我々、人類をワクチンで虐殺している。
日本政府の取り組み
総理を本部長、官房長官・外務大臣を 副本部長、全閣僚を構成員とする。
オール政府組織ですね。悪の主体
こちらをご覧ください。
海をきれいにする。SDGs14番の海の豊かさを守る取り組みをしています。・・・・
それで福島に於ける放射能汚染物質を排泄するのでしょうか。
プラスチックのゴミを取り除き、見た目には美しくなりますが、海水そのものが汚染されてしまいます。見た目さえよければお構いなし、排水の現場は海の中ですね。
政府主導の社会貢献 福祉事業そして経済構造と密接に絡み合っている。これは何を意味しているのでしょうか。
政府主導の福祉からは人々のボランティア精神 それは隣人愛を奪い去ります。国体は個としての人であり、政府組織は個としての人に仕える位置でありシステムでなければなりません。
政府中心の経済 福祉 教育 政治は人々から選択の自由を奪い去ります。
【外務省×SDGs】自発的国家レビュー(VNR)2021 ~ポスト・コロナ時代のSDGs達成へ向けて~ ※日本語字幕入り
身近に感じる脅威はこの政府組織からのものです。
SDGs NOW! 17 Goals to Transform Our World
日本の教育・福祉・ボランティア・に入り込み国連の目的を達成しようとしている。
スゴイ広報ですね。
国連の目的・及び原則に反した自由はない。これを批准している日本政府、綺麗なコトバで自由社会と真逆な管理社会を目指しています。
苦しんでいる人を見たら誰でも助けたいと思います。裕福な方は経済的に支援をされ多くの人を救われるでしょう。また、體を動かし奉仕されることでしょう。
今、国民は政府よりお金を税という形で搾取されていると表現する方が合っています。この政府は国民の為に何かしているのでしょうか。そして収入の半分が搾取されています。
自由の国アメリカも今はその姿を見ることができません。1900年代以降のアメリカ政府はGDPの5%しか使っていません。その時に政府の介入なしに教育も医療も全てが上手くきのうしていました。福祉は民間で運営され、慈善は個人レベルでなされていました。
お互いを労わりあう社会だったのです。
政府が福祉事業を独占して福祉の質が上がりますか? 要するに政府が社会福祉と称して、介入していることによって、隣人を労わり合うその間に政府が割り込んできているのです。思いやり、労わり合いの「仲介人」のごとく、政府が割り込んできているのです。
昔なら、あなたを助けたいと思えば、「私」が助けたのです。あなたの眼をみて話を聞き、あなたの事をよく知っているから、あなたが不幸な目に会ったと知れば私が助けるのです。
自分の力で立ち上がれるように。いまはそれをしたくてもできません。政府が私のお金を全部とりあげていますから。政府が「私たちがやる」というのです。彼らは慈善の「仲介人」になったのです。その結果、我々は隣人に対し、憐れみが深くなることもなく、バラバラにされます。分断され、距離が生じるのです。もはや思いやりの行為の自由もありません。
悲しむべきことです。・・・・(自由社会聖霊大学資料より抜粋加筆)
良心ある社会
自己主管型社会
共和主義にみる政治の有り方
共和主義(Republicanism)とは、
国民による公民的道徳に基づいた自己統治を目指す思想のことで、「共和政」という政体を構成する思想のことです。
内容を抜粋しました。👇
1-1:共和主義の意味
共和主義の意味は、その特徴である「公民的道徳」「自己統治」「市民としての人格形成」という言葉を理解すれば分かります。
公民的道徳…
個人が「公」つまり自分たちの社会の運営を行う上で持つべき、道徳心や倫理観
自己統治…
個人が国家の運営を人任せ、政府任せにするのではなく、「より善い政治」を自分たちで考え、実践していく姿勢
市民としての人格形成…公民的道徳を持って自ら政治に積極参加するために、市民としての人格形成ができる政治を行うこと
この言葉の意味を考えると、現代人である私たちの政治に対する姿勢とは違うものだと分かると思います。
ほとんどの現代日本人にとって、政治について実践することと言えば、「選挙で議員を選び、議員の行動や結果に対して意見を言うこと」くらいかもしれません。
これは共和主義の思想から考えると、人任せで消極的な姿勢ですよね。
共和政は、高度な市民の徳(civic virtue)がある場合のみ維持できる政体
また、市民が高度な徳を持つために、政治に関わる市民はみんな生活基盤を持ち、自分の利益追求に走らない状況である必要がある
などの主張をしました。
つまり、経済的に安定した生活があること、その上に市民の徳を持っていることが共和政には必要だということです。
この共和主義の思想は、ピューリタン革命、フランス革命、アメリカ革命に影響を及ぼしたとポーコックは主張します。 一部抜粋
人格形成とは自己統治ではないでしょうか。
自己統治をするために私達は何をするべきなのでしょうか。
こころとカラダをコントロールするために必要な事柄
それを探していくことが、私達の課題であり実践となると確信します。