御国とは
植木町の偉人 昭和の親鸞といわれたぶつごん先生が今の時を予言されていました。
人が歩きながらバタバタ倒れる時代が来ると、
そして、悲惨な世界を見渡し、メシヤは何処にいるのかと 世界中の人が探すのです
と、語られたのです。
お坊さんがメシヤといい。
続けて、
俺がこの状況を今とめることが出来るのであれば、十字架にかかって死んでもいいと
弟子のまえで叫ばれたのです。
私は弟子の内田さんからこの内容をお聞きしました。
ぶつごん先生は古事記に名前が載っている方の子孫です。
不義で蔓延している世界 政府が神の座にすわり、私達の体までもコントロールしている。
殺人者である犯罪組織 何と不義な時代なのでしょうか?
貴方たちは神の審判をお恐れないのですか? 良心を殺し何の喜びがあるのですか?
神の義をしらないのですか?
神様の義を何処で見つけることができるのでしょうか。
義に飢え渇いて皆、義なる国の出現を待ちのぞんでいます。
神様、早く多くの人が悟り、目が開かれますように願っています。
救いは主より来ます。その義も主から来ます。
御国とその義を探し立てよう より 抜粋
それでは、我々が求めている国とは、どんな国なのでしょうか?
その国とその義の本質が何であるかを、皆さんは知らなければなりません。
イエス様は地上に来られ、人間が所望する御国の義を現すために苦労され、万民を愛し、万民を救援するために犠牲の道を行かれたのでした。
ですからイエス様が成そうとされた御国とは「主は愛」があふれる国であり、奉仕する犠牲の生活が溢れる国であったのです。これは皆さんが霊界を体験してみれば、ハッキリと感じられるのです。
それではこのような国を主管される神は、どのようなお方か?万物に対し、人間に対し、切ない心を抱いて愛を注ぐために気づかうお方なのです。このような神が願う生活がどんなものか。神は地上の万民が自身のすべてのものを捨て、犠牲になって奉仕して、御国の建設のために苦労をいとわない生活をすることを、願っておられるのです。
今日皆さんは、人間が所望とする御国とは本質的な愛が実現する国、即ち与えるために切なる心を抱く人々が暮らす国でること、また愛の本質は与えるために切なること、という事実を知り、その義と通じる犠牲と奉仕の生活路程を歩まねばなりません。