右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

足の裏と着地点

神様がアダムの心に宿れば、神様は内的な父となり、アダムは外的な父となって、霊的世界と実体世界が和合して一つになる。そして、そのようになったアダムが、横的世界でエバと一体になれば、そこに愛を中心とした球形が形成される。(天地の大道より)



人をどう認識するのか?


体の主体が心 心の状態 思いに体は変化する。動きに於いてもそうである。


心の主体は


私達は創造されて霊と肉をもっています。


この認識が深まれば動きも自ずと変化します。


地に立つこと自体の意味も違ってきます。


最近、神様の本体を学ぶ機会を頂き、この地球 宇宙 天宙が胎として
私の環境を作り、ある目的に向かって導いていることを深りつつあります。


神霊 聖霊 この認識が地に立つことの意味を深めてくれます。


地上世界という胎中の中の私と認識してみる時、360度の関係性の中にある私となります。


それでは地に立つときどう認識するといいのだろうか?


和動の中心存在として立つことの意味を探しています。


力は直線ではありません。


力は作用から生まれるのです。それは主体と対象の関係性からうまれます。


それで三点間の動きとなります。


それは円です。


手首の動きも足首の動きも円運動でなければ


痛みが生じます。


もっと大きく胎の中の動きを知りたいです。


絶対対象として絶対服従して動く胎


その胎に絶対対象として絶対服従して動く


創造の目的 円の完成 愛の完成 


動きという遊びをとうして円を完成 和動の道理をしるのでしょうか。


その原理をとうして動きを通して和動の中心に近づくことがあるのでしょうか。


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