兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁をみないのか。
主の祈り
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。6:10御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。6:11わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。6:12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。6:13わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
6:14もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。 6:15もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
7:1人をさばくな。自分がさばかれないためである。 7:2あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 7:3なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 7:4自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 7:5偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
目は心の窓ですので、
目にあるチリとは心の中にあるチリのこととわかります。
背中の正中線上にある身柱とうツボはチリケ チリの気 チリケといいます。
それは胸の中にある色々な思いを出す所といいます。
ふと そのことを思いました。
梁は柱と柱を連結する大切なところですが、そのような梁 どうしようもない梁があるというのです。
イエス様は十字架上で彼らは何をしているのか解からなのですと、殺す敵にとりなしの祈りを捧げています。
どうしても私は正しい。あの人は何故私にこのような思いをさせるのか。
あの人は道理を果たしていない。
子供のころはこのような時はケンカですね。
その人との関係性を維持して理解しあうには、心を開いて何故 私は怒っているのか。
伝えなければならないと、勇気をもって訴えることもできるのです。・・・が
しかし、本当にそれで解決できるのか?
イエス様のみ言に触れるとき、理解できません。
理解したいのです。 が わかりません。
まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
自分の心の梁
梁とはなんなのか?
何故か、明け方、三時ごろに目が覚めます。
スッとこころに神様が語られます。
梁とは・・・こういういことだよ。
私の心は解ります。これが答えだと
そうすれば、はっきり見えるようになって
梁があればハッキリみえない。
心の中にある梁を取り除かなければ
私は解放されない。罪から解放されない。
神様、悟りを与えてくださり感謝いたします。
アラモの町 自由の戦いの町 テキサツ独立の町