右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

施術における手技と呼吸の内的意味の考察

右手主体の手技


右手にて吸気の動きの意味とは


一、吸気は私達の主体である神様の呼気であるために、吸気にての手の動きは伸びであり、相対との関係を求めていく姿となります。抱擁する。捕まえる手であると考えています。その手は神様が私達を抱きかかえるような心情の表現ではなかと強く感じております。


一、呼気は神様の呼気を相手に流すための動きになります。この形でないと流れない。ダムに貯められた水が用水路の関を開かないと流れないようにその形でなければ流れない。そのような意味があるのではと思っています。


手技も神様を中心として成り立ちます。これは神様がその施術に関与されていると前提しての発想です。そのような施術があってもいいのではないか。
神様と共にある医療 医学 施術 手技 在ってもいいのではないでしょうか。


病気の方の体を診ると吸気の時の動く筋が全く動いていません。これでは息は吸えない。相対的に呼気の時に動く筋はわりと動いています。


それはエネルギー不足 不完全燃焼を意味しています。私達の生命エネルギーの根源を私たち自体の中に求めることは無理です。


吸気は内的には神様との関係性を意味しています。ですら、動きの初動を吸気を中心として設計して動きを研究するのです。


そして左右非対称な筋はどこか?


それは間違いなく膈なのです。


なぜ、左右非対称に神様は設計されたのか、色々と考察し、手技にて動きにて意識にて結論を導こうとし研究してきました。


すると現代医学の生理学と全く違う、結論を得ています。これを話すと皆、おそらく何をいっているのかとほとんどの人が思うと思われます。


この内容は一部の方だけに今はお伝えしています。こえは体を通して施術を受けていただいてその事実を確認するほか納得ができないのです。


何故、膈を非対称に創造されたのか? その現象と呼気吸気の動きがどう連動しているかの一部のみ少し解明できていません。それを探していくことは本当に楽しいことです。


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