イエス様は結婚すべきであった。
第二のアダムとしてこられたイエス様は
神様からの三大祝福を成就するためにこられました。
それは、人格者となり家庭を築き豊かにくらすことです。
アダムに言われた祝福のみ言です。
キリスト教の人はそうではなく十字架に掛かるために罪の贖いとしてこられたといいますが、
聖書を学んでみるとイエス様が語られた福音は私は死んで十字架の道を行くことだとは、さけばれず、御国の福音を語られたました。
御国の始まりはアダムの時においてアダムとエバが家庭を築きその子孫が増え広がればアダム王国となり、神様の愛を中心としてこの地に地上天国を築くことだったことをしります。
しかし、アダムとエバは神様からの戒めを守らず、神様を中心とした家庭ではなく、サタンを中心とした家庭を築きました。
蛇からの誘惑をうけて、神様を避けて家庭をもったのです。
イエス様はいいました。蛇よマムシの子らよと。
地上天国の出発はイエス様の家庭から広がっていくはづです。
黙示録3章11節にこうあります。
3:11わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
3:12勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
とあります。これはなにを語ったおられるのでしょうか。
新しい名として来られるためには肉体が必要です。
新しい名をもって来られる方が再臨主です。
その方はイエス様が成さりたかった使命を成就する為にこられます。
神様の義が神様の正義が神様の愛の心に満ち、その義に満ちた国 悪の影も見えない国を創建されます。
今ほど曲がった時代はありません。偽預言者が嘘ばかりの正義を掲げながら多くの人の耳をふさぎ迷わせている。マスコミは真実を語らない。政府も真実を語らない。
聖書を購入したくて近くの教会を調べるとそこに牧師様の言葉があり、神様の呼称を天の父とすると女性差別になりえるので命の神様と呼称を変えますとありました。
どうしてこう変質してしまったのだろうか。
コロナワクチンの真実を告げると人は混乱しどちらが正しいか分からなくなったといいます。
それは蛇の言葉 マスコミの言葉に惑わされているからです。エバの時と同じです。
真実は一つです。二つではありません。
この時代
善悪の闘争を展開しながら発展していくときです。
神様の義のあるところを探していけば新しい名をもって来られる再臨主の群れにであいます。
空中で肉体をもったキリストに会うことは不可能です。
イエス様は十字架にかかるまえに、その弟子にこれからは剣をもてといわれています。
それは、悪と戦えということです。神様の戦いは不義にたいしてです。カナンの地の住民を滅ぼされたのですが、それはその地の人が異教の神に赤ちゃんを捧げたり、児童性愛をその神殿で行ったり、男娼がいたり、悪に染まっていたから滅ぼされたのです。
正義を正義にするためには力がいります。再臨主は力強い方です。悪には戦われます。黙示録12章5節に「女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。」とあります。
鉄の杖 は昔の剣のことです。鉄の杖のような形をしたものそれは、銃です。
ヒットラーも毛沢東も市民から銃を奪い、虐殺してきました。市民から銃を奪いたいのです。市民を家畜と考えています。人には自衛のための力が必要です。それで鉄の杖です。
鉄の杖の王国は義の為に不義と戦う王国
力強い王国は悪と戦います。何故か。
神様は父だから男性格としておられるので力強いかただからです。
冠に新しい主の名がかかれているのです。
その名を聞いて悟りますか。聖書には偽キリストがでてくると書かれているでしょう。本物と偽キリストをどうして見分けますか。
キリスト教の牧師様は命の神様と神様の呼称をかえました。そして、そこの信徒達も同意したとホームページに書かれていました。何故反対しなかったのでしょうか。
その教会は伝統ある福音派の教会です。
イエス様の十字架に架けたのは当時の宗教指導者です。
歴史は繰り返すのでしょうか。本物を偽物とし偽物を本物とするのでしょうか。
義の国は必ず創建されます。