右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

自由を守ろう。


私達一人一人に不変にして奪うことの出来ない権利が与えられています。それは幸せに生きる権利・人権です。それは自由と責任 そして選択の自由が保障される国に生きることで実現します。


今のこの国の現状を見る時、本当に自由があるのでしょうか。この国は管理、監視される方向にどんどん進んでいっています。歴史から明らかなことは、中央集権化された権力が政治上、宗教上、財政上、偽りの体制と権力を用いて人類を支配してきたということです。


その過程においては、ある時には段階的に自由が奪われ、またある時には力づくで自由が抹殺されてきたのです。


自由の抹殺 それは人権の抹殺なのです。今、憲法が改正されようとしています。それは自民党憲法改正草案です。より、人権が強化され自由が強化される方向に改正されるのであればいいのですが、自民党憲法改正草案はそうではありません。


人権をことごとく奪っている改正なのです。ここで、憲法について私達は正しい認識が必要になります。憲法とは権力者に縛りをかける内容だということです。権力を濫用しないように監視し、管理するための法なのです。


憲法は私達の人権を保障し、権力者がその力を濫用しないようにするためのものです。ですが、自民党憲法改正草案を読解してみると、人権を抑制し個人の自由に多くの縛りを設け、権力者の縛りを無くしているそのような内容となっています。


自民党憲法改正草案のままに改正されると官僚という特権階級が生まれ個人の自由がなくなるのです。それは本当の意味での死を意味するのではないでしょうか。


猪猟にて私は不思議なことを体験しました。罠にかかった猪を生きたまま捕獲するのですが、後ろ脚を縛り、前足を縛り、口を縛っている途中に、急に呼吸が荒くなり絶命したのです。他にも、車に乗せて運んでいる途中に猪が死んだことがあります。


ユーチューブで箱罠にかかった猪捕獲の動画を見たことがありますが、捕獲途中でその猪はなくなりました。その猟師も初めての事らしく皆さん何故なのでしょうか。同じ事象があれば教えてくださいと話されていました。


当時はそんな不思議なことがあるのだと思っていましたが捕獲の最中に同じ出来事を体験しました。それは成獣においてのみの出来事でした。若い猪ではそのようなことはありませんでした。


山野を自由に駆け回っている猪が自由を奪われたとき、その猪は死を選ぶのか、ふと悟ったのです。自由とはそれほどの価値があるのです。自由が奪われるとき私達は、死んだ状態と同じなのです。


自民党憲法改正草案による憲法改正は自由の死を意味しています。独裁国家の誕生を意味するのです。


「そんなことはないでしょう!?」「いくらなんでも!」と思われるかもしれません。
「自由と責任」「選択の自由」が奪われてしまいます。その内容が端的に現れている改正箇所があります。
比べてみてください。驚かれることでしょう。


自民党憲法改正草案
(国民の責務)
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民はこれを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。


この改正箇所を感じられましたか?


現行憲法では(国民の責務)という文言はありません。
何故なら憲法とは国家権力(中央政府)を縛るものであり、国民を縛るものではないためです。しかし、この改正案は堂々と国民を縛る内容となっています。


(自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。)
この改正案では公益及び公の秩序に反した自由はない。自由は政府から与えられた範囲内でしか行使してはならない。そして不断の努力により公益と公の秩序を守りなさい。という内容なのです。



その事について自民党憲法改正草案Q&Aでは国際人権規約において人権制約原理が明示されているので問題ないと回答しています。


国際人権規約に人権制約原理があるからこれを採用したのだ、他の国でも人権制約原理があるのだから何が悪い。このように言いたいようです。


国際人権規約は国連で作られたものであり、戦勝国がつくった人権の規約です。国際人権規約は世界人権宣言の理念を実現化するため1996年国連で採択された人権に関する規約となっています。その29条の3においてこう述べています。
3:これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。


自由と権利は国際連合からくるとハッキリと書いています。国連の目的及び原則に反した自由はないと書かれています。



人権とは国連という組織から与えられたのではないのです。幸せに生きる権利は天より与えられたのです。それを自然権といいます。ある特定の組織から来るものではないのです。


自然権とは神の創造の頂点にたつ人間は、創造主から、奪うことのできない人権が付与されているという考えかたです。


現行憲法においての人権はどのようになっているのでしょうか?第十章より引用します。


第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


では改正草案ではどうなっているのでしょうか?


 最高法規から削除されています。


そして現行憲法では十章九十九条において


「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」


とし義務を国家権力者に縛りを設けています。


しかし、改正草案では(憲法尊重擁護義務)と見出しを新たに付けて第百二条において


「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。


と国民に対して縛りを設けているのです。これは憲法の本質から逸脱しています。


全ての国民はこの憲法を尊重しなければならない。
【自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。】
公益及び公の秩序はその時の中央政府が決定します。その事に対する基準はありません。


それでは
改正草案の国民に課されている憲法尊重擁護義務を見てみましょう。


第十三条 全ての国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。


第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は保障する。2前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。


第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。


第九十二条2 住民は、その属する地方自治体及の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う。


第九十九条3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示にしたがわなければならない。この場合においても、第十四条 第十八条 第十九条 第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。


改正草案の表現は一貫して国民に対する命令口調です。そしてその権威は政府から来ている内容になっています。


家族は助け合わなければならない。憲法が規定する内容ではありません。



官僚支配による独裁国家の誕生となる自民党憲法改正草案の改正箇所
苫米地さんが指摘されている箇所です。
改正草案 前文より


「日本国は、長い歴史と国有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。・・・・」


立法、行政及び司法の三権分立に基づいて“統治”してしまったら、国民主権にならないから問題なのです。主権を“行使する”ときに3つ(三権分立)に分割しましょう、と言っているだけにすぎないのですが、この文章では、国民主権を3つに割って国を統治すると、言っているから危険なのです。


これがなぜ危険なのかといえば、単純な話、立法を握っているのは政治家で国民の代表ですが、ほかの二つは官僚が握っているからです。


行政を握っているのはもちろん官僚たちです。司法を握っているのは裁判官ですが、彼らは司法官僚という名の官僚です。 つまり、三権分立での“統治”だと、2対1で常に私たちは官僚に負けることになるのです。
 官僚たちの狙いは、実質的に主権を国民から奪うことだったのです。これはクーデターと言ってもいいほどの行為です。


仮にですが、この草案が運用された場合のことを想定してみましょう。三権分立ですから、現在の官僚たちの立場は一変します。いまは政治家のアシスタントという立場ですが、草案でいう三権分立となったら、国会と各官庁は同列になります。選挙で選ばれた国民の代表が、試験の成績が良かっただけの人々と肩を並べるのです。


少なくとも国会議員は国民の前に立ち、その審判を受けています。しかし、官僚たちの選出や人事には私たちはまったく関わっていません。
 であるのに、それが国民の代表と同等の地位を得るのは、民主主義と議会政治を根底から破壊するものです。しかも、それを憲法が保障してしまうのです。
 これを問題と言わずして、なにを問題と言えばいいのでしょうか?  


引用終わり


改正草案 前文の驚くべき改正箇所に気づかれた方はおられるでしょうか? 「三権分立で統治する」この箇所に違和感を持たれた方は、殆どおられないのではないでしょうか。私もこの本と出会い驚愕いたしました。
苫米地さんが指摘されているようにこれは巧妙にそして練りに練られた改正草案なのです。
現行憲法での統治(支配)はどのようになっているのでしょうか?



正当に選挙された国会における代表者のことを、憲法では公務員といいます。民意により選ばれた公務員が国会議員となります。これが民意を反映する仕組です。


しかし、驚くべきことに自民党憲法改正草案では選挙で選ばれない公務員が誕生するのです。その箇所を見ていきましょう。


改正草案より
第十五条の3 『公務員の選定を選挙により行う場合は、日本国籍を有する成年者による普通選挙の方法による』


憲法による公務員は国民が選挙により選んだ国会議員のことをいいます。この改正案をみると選挙により選ばれた公務員(国会議員)と選挙によらない公務員(官僚)の二つがあると解釈できるのです。


現行憲法上では公務ができるのは国民が選挙で選んだ公務員(国会議員)だけです。しかし、上記のわずかな改定によって、選挙でえらばれないで公務をおこなえる人間が存在すると規定されてしまうのです。


国民からの信任を受けていない官僚が国会を通さずに国民を統治できることになってしまうのです。


現行憲法内にあったすべての“官吏”の文字が“国の公務員”に変わっている


憲法における官吏は官僚のことをいいます。しかしこの官吏が全て国の公務員になっています。


もし自民党憲法改正草案が施行されたら官僚による国民支配体制が確立し、自由・人権・言論・所有権(個人の体)までも全て管理される社会となります。
特権階級による国民が支配される国が完成することになります。これをもって共産主義革命というのです。



着々と進む法改正


これまで自公政権は何をしてきたのでしょうか? 2016年 農地法改正 2017年 種子法廃止 2018年 水道法改正 2019年国有林野管理経営法改正 2020年 種苗法改正 2022年移民計画RCEP発行 農地が種が水が森林が健康が仕事が奪われてきました。


そして 憲法改正により人権が奪われようとしています。これから政府はマスコミとグルになり、戦争の危機を煽り、国防軍の創設、第九条に自衛権の明記を掲げて憲法改正に拍車をかけて来ることは目に見えています。


現政権は国防のことなど一切考えていません。最前線の現場にたつ自衛官にコロナワクチンを接種させています。一万人以上の自衛隊員に打たせました。接種したくなくて自殺した自衛官もいるのです。事務職 幹部自衛官は接種していません。


海上保安庁でも警察でも接種させています。政治家たちはコロナワクチンの恐ろしさを確実に知っています。何故なら、「政治家や公務員はワクチンをしなくてよい法律」をすでに施行させているからです。


ワクチン接種が始まる前の令和2年12月9日に「予防接種法および検疫法の改正」をしていたのです。この中に「予防接種の有効性及び安全性に関する情報、その他の情報を踏まえ、政令で、当該規定ごとに対象者を指定して適用しないこととすることができるものとすること」と書かれています。


なんという用意周到な姑息な人達でしょうか。
コロナワクチンにより、サル、ペレット、など接種された動物はすべて2年以内に無くなっています。安全性が不確かなものを奨励している現政府そして医療機関は殺人組織ではないでしょうか。


これまでワクチン接種により亡くなられている方はどれほどいるのでしょうか。ワクチン接種によりすぐに亡くならずとも自然免疫が段々と無くなり様々の疾患でなくなるのです。


救急車のサイレンを聞かない日がありません。何かおかしいと感じられた方も増えて来たのではないでしょうか。


これは現行憲法に違反するのです。


憲法第13条:すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。 


憲法第25条:すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及びに増進に努めなければならない。


安全性が認められないワクチン接種を進めること自体が国家による犯罪なのです。つまり、殺人組織なのです。この組織が目指す安全保障に関する自衛権の本質は何なのでしょうか?
植木町にぶつごん寺というお寺があります。高千穂興隆という先生で先祖は古事記にも名前が載っている方です。この方は昭和の親鸞と呼ばれた方です。この方が生前4つの予言を残しています。私はこの内容を門下の内田さんからお聞きしたのです。宣伝の時代がくる。ラジオが車で聞ける。飛行機の時代がくる。そして人が歩きながらバタバタと倒れる時が来る。


その時、世界中の方がメシヤはいないかと探すときがくると、いわれ、これがこの惨事を止めることができるのであればここで十字架に架かって死んでもいいと叫ばれたそうです。最後の予言が気になっていたのですが今のこの時のことを示唆しています。


この殺人組織日本政府と偽りの科学を真実だというCDCの輩が世界統一政府を国連を中心に画策しています。その殺人組織が目指す自衛権とは何であるのか。


殺人組織が目指す自衛権とは


改正草案 第九条2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。


この自衛権に対して自民党憲法改正草案Q&Aにて


『この「自衛権」には、国連憲章が認めている個別的自衛権や集団的自衛権が含まれていることは、言うまでもありません。』


とこのように書かれています。


憲法改正の真の目的は集団的自衛権の拡大に真の目的があります。もし、改正草案が施行されれば国防軍となった自衛隊は自国の防衛とはことなり、世界最強のアメリカ軍の駒となるのです。この国防軍はアメリカの指揮下の入ることになるのです。これが軍産複合体の真の狙いです。


家族と隣人を守るという人権の原理から逸脱しています。国防は重要です。その事はわかりきっています。しかし、現政権の改正案そしてバイデン政権下での戦争は問題なのです。


トランプ大統領は戦争をしていません。他の大統領は戦争を始めた人ばかりです。今のマスコミは虚偽の宣伝機関とかしているのです。


日本政府は世界の国がこれは実用には向かないとして見向きもしない防衛装備を高額で買っています。おかしなことです。そして戦争に向かい舵取りをしているのです。


個別的自衛権こそ本来の防衛の概念です。集団的自衛権の拡大は間違っています。


もっと本質的なことは、どんどん左傾化していく政府にたいしての防衛を考える時期にきているということです。歴史的に見て戦争で亡くなった人よりも、自国の政府により殺害された人が圧倒的に多いのです。毛沢東は権力は銃口からといい、8000万から1億2000万の市民を虐殺しています。現日本政府の同じです。どれ程、コロナワクチンで人が死んでいるのでしょうか。



武器を保持する権利は自然権であり憲法立案者が述べたように、人権です。すべての人間は専制政治に対するセルフディフェンスの権利を持つべきです。このセルフディフェンスを憲法で謳っているのがアメリカ合衆国憲法の修正第二条です。


規律ある市民軍は自由国家の安全保障にとって必要なものであるので、国民(個人)武器を保有し携行する権利はこれを侵してはならない。とあるのです。


国家権力の悪用・暴走にたいしてのセルフディフェンスを唯一持っています。この


政府にたいするセルフディフェンスの概念が今問われています。この概念と集団的自衛権はまったく正反対の方向です。それは政府組織 つまり僕の軍隊の強化に他ならないからです。


もっと現実的に表現すれば特権階級、上級国民が管理する軍隊の強化になります。中国共産党の軍隊、人民解放軍と何ら変わりありません。戦争をしてお金を儲ける軍産複合体の為の軍隊と言った方がもっと的確です。
戦争をする。しない。という選択権が独裁国家の手の中にあるのです。簡単に命を奪うことができるのです。


政府が侵す犯罪をどう憲法にて抑止するのか、次元の高い憲法改正でなければならないと思うのです。戦争という犯罪を生み出さないセルフディフェンスが必要です。


現日本政府はウクライナに軍事支援を行い、この戦争に国民を巻き込んでいます。ロシアに日本を敵国として認識させています。これは政府による犯罪です。


九条の問題は国の根幹を考えるにおいてとてもキーポイントになると思っております。


今回の自民党憲法改正草案は廃案にしなければなりません。


もっと発展させた国防を考えるなら市民軍・市民警察の思想を憲法に盛り込むべきです。それは、政府犯罪組織に対するセルフディフェンスの思想を取り入れるべきだと考えるからです。


世界的詐欺の内容をとうして世界政府が確実に存在し、その出先機関が日本では中央政府となっている現実に直面した時、圧倒的な威圧感、絶望感を感じるとともに、不義なるこの世界に対して義憤も心の奥から湧いてくるのを感じるのです。


この政府が私達の人権を本気で奪ってきています。それは『憲法改正』という内容です。もっと的確な表現をすれば、私達を本気で殺しにかかって来ています。


この度の憲法改正草案が施行されれば、『公益と公の秩序』という改正の一文にて、コロナワクチン接種は強制となることでしょう。この2年でコロナワクチンは効果がないどころか、健康を害するという事が解ってきました。ワクチンの回数を重ねると健康被害は増大するでしょう。


社会的 経済的な殺人も行う事でしょう。否! もう既に行っています。歴史を学べば戦争による犠牲者よりも政府が自国民を虐殺した数が圧倒的に多いという事実が浮かびあがります。


それで、憲法改正反対のチラシも作成しました。ご関心の方は、ぜひ活用して頂きたいです。


現行憲法にも多くの問題があることも事実です。改憲する必要もあります。しかし、自民党憲法改正草案は廃案しかありません。

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