右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

その力は私のちからではありません。

運動における入力を考えると


どこまでも力は主体から流れてきます。


私たちの力の源泉は主体からです。


息も主体から流れてきます。


その流れの出口に右の手はあります。


生かされている。


愛されている。


いつも主にその心向けなければ


その力は


間違った力であり永遠性のない力となります。


頂いている力を主に返す方法は


何か?


おのずとわかるのです。


右の手をつかい


力を投入する事です。


入力無き動きは


消耗でありそれは


何時か倒れてしまいます。


わたしは入力に意識を向けるのは


間違いと思っていましたが


そうではなく


そういうふうに創造されていることに


感謝であり、


そのことに集中しないことが


傲慢であることに


気付きました。


主に感謝するしかありません。


そして恩をお返しする方法は


為に生きることしかないと


思うのです。


我主

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