聖霊としての右手
左手を中心としての力の創出
左手は左足と上下の関係で上から下に左手の動きからの力が流れます。この力も神門を中心として親指と小指が作用し生まれるのです。
そしてそれが左足の小指と薬指を動かす力となり、庶骨にて下方向に押す力となり、ボールのバウンドのように地から反射した合力となり、上向きのベクトルとなり神門と相対する右足小指の動きと合わさり、こもれも合力となります。右は腎経絡を上昇し左は脾経絡を上昇しどちらも右手の親指に向かいます。
左手にて作用した合力が左足を動かし、そして反発する上昇する動きとなりそれが再び対側の足の上昇する動きと合わさります。左手の指の合力 そして左手と左足の合力 それが右足と合わさり合力 そしてそれが全体として右手と作用します。
三段回の作用が四まできて完成する。
右手を中心としてみれば左手 左足 右足の三対象となり、左手を中心としては左足 右足 右手の三対象となりそれぞれが関係性をつくり合力となっています。
作用する動きのなかで左手は司令塔の役割をにないます。それで左手の神門と右足の内の肝経 左手の親指と小指がそれぞれ内外の流れが左足の二つの指を動かす司令塔になります。
左手を中心として足の動きを土台として右手は作用するのです。
このことが腑に落ちるとどうなるのか。
ある方がこの事を理解され、吸気も神様から頂き、力も私自身(右手)ではなくキリスト(左手)の全体を動きを通して出てくるのですね。もっと楽に力をだせるのですね。
と力の創出される構造を理解されたとき、思わずそう語られました。
私もこの事実を知った時に力も神様からくるのかと感動したことを思い出しました。
作用して生まれる力が右手に流れるという事実をしったとき、何時しか左手は息の司令塔である。そして「私の中にあるキリストに手である」と感じたのです。
この三段階をとうした動き 三対象を確立した動き そして神様が愛より生まれ聖父聖子聖霊による相互作用による愛の為のシステムを私たち人の中にみることを感じるにあたり、私たちは神の似姿に創造されたことを実感します。
生命力の源泉が愛にあるという事実 そして愛は関係性を通しての概念である事実をしり、自らの存在の価値を深く思い計ります。
息を吸うことも感謝であり、吐くときの力の源泉も神様の呼気のよる動きだと知りまた、感謝です。
今日施術を受けられた方から、力を出す事も楽に出せるのですね。それも全て神様の力なのですねと語られたことが大変うれしく、この事実を感じられたのは神様による聖霊の働きなのだと感じています。
そのことが感謝でありこの事実を多くの人がしることができたらどんなに楽に力をだせるのでしょうか。
ルカの福音書24章49節
見よ。わたしはわたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。
使徒の働き1章5節
ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
聖霊に関することですが、聖霊とはなにがいまいち分からずにいました。例えでお話をお聞きしました。
太陽が聖父であるとすると光が聖子 そして光があたると温かくなります。この温かさが聖霊だと。
作用として働きが聖霊なのでしょうか。
左手をキリストに見立てると左足が神様 そして作用して生み出される右手は聖霊の手となります。聖書には右手の手が救いの手として度々、記載されています。
私たちの右の手を自らの手としての動きとするのではなく、聖霊動きとしての右手とすることが動きの完成ではないでしょうか。
右側からみれば左は主体の位置であり、上からみれば下は主体の位置になるのです。
聖霊様が役事される時代 私達は聖霊の力を着る事が出来る時代に生きています。自らの息と動きの関係性からくる道理をしり力の源泉をしることができる時代であり、その力を着て動きければどんなに素晴らしいことでしょうか。
動きをとうして神様の力を右の手にて感じられたらどんなにスゴイことでしょうか。
我主
