右手と共に

右手の役割を広範囲にわたりお伝えしたいと思っています。

神癒 と 右の手

右の手

辞書で神癒と検索すると

信仰や祈りの力で病気が治る事と書かれています。


現代医学には命に関する問題を扱っていないために迷走を続けているのが

現実です。


キリスト教の三位一体の勉強をしていますが、

聖父 聖子 聖霊はそれぞれ個別であるが一体であると

大変難しい内容ですが


少しずつ学びながら、少しづづですが理解が深まりつつなっています。


この基本形になぞらえて身体の構造を理解するに役立つのです。

何故でしょうか。

神の似姿に人が創造されているからです。


人を命を研究することにおいては、ある面、神様の構造を理解するという

ことにもつながるからです。


聖霊とは癒し 神様の右手 と理解してきました。そして命の息が何処に留まり

どのような法則にて右手まで連結しているのだろうか。


どうすれば聖霊と私の意志力により合力 新しい実体的な力が生まれるのでしょう。

実体的な力とは物理的な力と理解されてもいいのです。


丹田より湧き上がる命の息を受け止める右手と横膈膜を一つのユニットとして

左手より丹田 そして横膈膜(左後面)を一つのユニットとして


息を中心として完全な作用体 授ける 受けるという作用において合力としての

力 エネルギーが生まれます。


右手のみで力を出す。例えば 押す 引く 掴むという動きをした時と、

丹田から湧き上がる息の流れを完全に捕まえるとう


意識下において右手の力を見るのではなく、息を完全に受け止めるという作業を

した時に、それは丹田の方を見つめているのですが、


そのような力では、オールイン すべて出し切る そのような動きとなります。

決して楽ではないのです。


でも、楽なのです。(笑)


そのように意識下では施術後に私自身の體も歪みがとれています。


もっと軸が正されています。


以前は、右手はリンパの流れから独立しているし、体的なつながりは無いと

感じていたので、右手は自分自身であり左手は私の中にあるキリストの手であると

感じていましたが、


今は命の息を主体とするならば対象の位置にあり、右手(自分)自ら力を出すという

ことではなく、命の息を受け止める姿勢 心構えに集中した時に自馬力でない

合力として力がでることを感じます。


その手の動きはいのちの息と同化することができるとそういう思いが強くなります。




風を命の息の流れる方向として横膈膜を帆掛け船の帆に見立てます。

この帆を風の吹く方向に90度にて受け止めると風の方向に船は移動します。


この作業が合力を作ることになるのです。


今日は、施術においてこの合力を作る作業に今日は徹しました。

なるほど、・・・全て収まるな。


これが実感です。


これを動きで再現すれば数秒で施術同じような體の変化が起こります。

以前、何時治りまか。


との問いに正しい動きができればすぐに治りますとお伝えしていしたが、

本当にそう感じます。


準備はできましたのでこれからは多くの人にこの動きの構造を伝えていきたいと

思っています。












猪の解体作業

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