聖書の中の右手
詩編 60:7
あなたの愛する人々が助け出されるように右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください。
詩編 63:9
わたしの魂はあなたに付き従いあなたは右の御手でわたしを支えてくださいます。
詩編 98:1
新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって主は救いの御業を果たされた。
私たちも、主の似姿に創造されているので右手が力を象徴していると思っています。
そして、息と動きを観察してみると右手にて力を出す法則を発見します。
左利きの人においても右手が力を出すことに変わりはありません。
旧約聖書の中に右も左もよく使える人が優れた戦士として書かれてある箇所を見つけましたが、その左手はあくまでも右手を補助する動きであったと推察します。
左手が上手く使えてこそ、本然の右手の使い方ができます。
士師記
20:15その日、町々から集まったベニヤミンの人々はつるぎを帯びている者二万六千人あり、ほかにギベアの住民で集まった精兵が七百人あった。 20:16このすべての民のうちに左ききの精兵が七百人あって、いずれも一本の毛すじをねらって石を投げても、はずれることがなかった。
歴代志
12:1ダビデがキシの子サウルにしりぞけられて、なおチクラグにいた時、次の人々が彼のもとに来た。彼らはダビデを助けて戦った勇士たちのうちにあり、 12:2弓をよくする者、左右いずれの手をもってもよく矢を射、石を投げる者で、ともにベニヤミンびとで、サウルの同族である。
すごい能力です。
わたしは、左手の使い方が体を動かすときとても重要になるので
動きの練習のときは左手を中心に様々な動きを表現しています。